マニュアル制作 今昔物語 前編

マニュアル制作 今昔物語 前編

2022年2月3日

マニュアル制作 今昔物語 前編

その昔、マニュアルの専門家はいなかった?

みなさんは、日本で「テクニカルライター」などのマニュアル専門家が必要になったのはいつ頃からか、ご存知だろうか?
1980年代の中頃、日本がバブル景気に浮かれ始める少し前からだ。

ここでは、まだマニュアルの専門家がいなかった頃について話していこうと思う。

マニュアルを作っていたのは・・・

マニュアル制作の専門家もおらず、専門部署もなかったころ、日本でマニュアルを作っていなかったのかと言えばそうではない。

テレビにエアコン、冷蔵庫に洗濯機などなど、日本が誇る家電製品を中心に取扱説明書は必ず同梱されており、各メーカーでマニュアルが制作されていた。

開発者が仕様書のついでに・・・
広報担当者がカタログや製品資料のついでに・・・
品質保証部署のクレーム担当者がクレーム資料のついでに・・・
といった感じで、当時は、各部署にいるマニュアル担当者が対応するのが一般的だった。

今でこそ、PDFやWebマニュアルが当たり前になり、チャットでもリアルタイムで質問ができるところもあるが、当時は「紙マニュアルのみ」の時代。原稿もレイアウト指定もすべて手書きだった。
作業内容は以下の通り、それほど複雑ではない。

①メーカーのマニュアル担当者は新製品のマニュアルが納品されると、保管用と「更訂原本」用のシールを貼って大事に管理する。
②「更訂原本」は製品シリーズごとに管理し、誤記や修正依頼があれば、修正箇所に付箋を付けて赤字を入れる。
③新製品の制作依頼があれば、同じ製品シリーズの「更訂原本」を原稿にし、新機能部分だけ手書き原稿を作成する。
④イラストは、印刷会社がイラストレーターを手配し、新製品を撮影して作成してもらう。
⑤赤字を入れた「更訂原本」と、手書きの新機能の原稿を印刷会社に渡す。
⑥印刷会社は原稿をもとに版下を作成する。
⑦メーカーの担当者は、作成した版下を3~4回校正して版下作成を完了する。
⑧印刷会社は版下をもとに印刷し、新製品のマニュアルを納品する。

この作業を、製品の発売サイクルに合わせ年に2、3回行う。
これがマニュアル担当者の仕事だった。

必要だとは思われなかった「マニュアル専門部署」

マニュアルは製品の1部品であり、マニュアル単価がアップすれば製品原価もアップしてしまう。

そのため、マニュアル制作専門部署を作ったり、制作費を増やしたりするなどという考えはなかった。

メーカーがマニュアル制作を専門会社に依頼することはほとんどなく、製品カタログなどを印刷していた出入りの印刷会社か、翻訳会社に依頼していた。

実は翻訳会社は古くからマニュアルを制作していた。なぜかといえば、日本のメーカーは初めから自社製品を開発・製造していたわけではなく、初めは海外製品を輸入して国内に販売していたからだ。

当然、輸入製品のマニュアルは外国語であり、日本語に翻訳する必要があった。
そのため、メーカーは輸入製品のマニュアルを日本語のマニュアルにするため、翻訳会社にマニュアル制作を依頼していた。

制作方法は、輸入製品マニュアルのレイアウトをそっくり真似し、外国語のタイトルや概要、操作説明を日本語に翻訳する。日本語にない用語や訳しにくい用語は、じっくり検討する暇も、検討する人もいなかったのでカタカナで表記する。

これが、日本で制作されたマニュアルの原点となっている。

工業製品から家電、日用品にいたるまで、日本にない製品は輸入され、製品に付属するマニュアルを日本語に翻訳していた。 輸入製品を真似して日本製品ができ、輸入製品のマニュアルを真似して日本製品のマニュアルが制作されていた。

こうして、「よくわからない・・・」と言われるマニュアルができてしまったのである。

「マニュアル専門部署」創設のワケ

では、なぜ日本のメーカーが、1980年代の中頃からマニュアルの専門部署を作ったり、専門家が必要になったりしたのだろうか?

「ワープロ」の発売

そのきっかけとなったのが「日本語ワードプロセッサー」、通称「ワープロ」の発売である。

ワープロの第1号機は、1978年に東芝が発売した日本語ワードプロセッサーJW-10である。当時の価格はなんと630万円!この価格なので一般に普及することはなかった。

それから2年後の1980年には、電機メーカーや事務機器メーカーがワープロ市場に参入したが、それでも価格は200万円で、まだまだ一般に普及することはなかった。

さらに5年後の1985年になると、ワープロの価格は16万円台まで下った。同年開催のビジネスショーでカシオワードHW-100の価格が59,800円と発表されると、以降各社の低価格化が進み、一般ユーザーの購入も相次ぎワープロブームとなった。

発売当初のワープロは、液晶表示も数行程度で、機能もキーボードで日本語の文章を入力し、編集して印刷するだけだった。それが年々進化し、液晶表示行数も大幅に増加し、印刷レイアウトは文書全体を確認することが可能となった。書体も増えてビジネス文書として通用するレベルになった。おまけに、図形も描けて、住所録も作れて、表計算まで組み込まれるようになった。

ワープロが高性能・高機能になることはいいことだが、その反面で、メーカーに寄せられる問い合わせが急増することになる。

「ワープロの高性能化」と「問い合わせ急増」の因果関係

1.使用ユーザーの変化

当時、コンピューターは高額であり、開発者や専門家だけが扱うものだった。セットアップや操作方法、機能が不明でも、簡単な説明書と仕様書があれば、自分たちで解決できる人が使用しており、説明不足が問題になることはなかった。

これに対してワープロは、主婦から事務職、営業マンから自営業者まで、年齢も中学生からお年寄りまで幅広い世代が購入者となり、今までキーボードすら触ったこともない人が対象である。

2.マニュアルの質

付属のマニュアルは、分厚く、どこに何が書いてあるのかが分からない。説明を読んでも、「セットアップ」に「インターフェース」、「プロテクト」に「フォーマット」など、今では当たり前の言葉だが、当時は初めて聞く言葉ばかり。おまけにカタカナだらけなので、読んでも何のことなのか意味が分からない。

トラブルが起きてもマニュアルでは解決できないユーザーがどうしたかと言えば、マニュアルに対する不満と一緒に、メーカーに電話を掛けたのである。

クレーム増大でついにマニュアル改善へ

年間200万台を売り上げたワープロなのでメーカーへのコール数は急増。各メーカーは、「相談センター」「お客様窓口」「サポートセンター」などと呼ばれるお客様専用の相談窓口を作って対応したが、相談員を増員してもコール数は増えるばかり。ユーザーが電話してもつながらないのが当たり前の状態だった。

また、分厚いマニュアル、専門用語とカタカナだらけで、わかりにくいマニュアルは社会問題にもなり、マニュアル改善を求める声が高まっていた。

メーカーは、こうした世間からの批判に対処し、また相談窓口の人件費や電話代などの経費を削減するために、マニュアルを改善することになった。

手始めとして、マニュアル専門部署を作ることになった。

社内から開発担当者に品質保証のクレーム担当者、企画担当者に広報担当など、理系の多いメーカーの社員から文章が書ける人を中心に集めた。しかし、マニュアルを作ったことがない人材ばかりだった。

それもそのはずで、人材を募集しようにも「マニュアル制作」や「テクニカルライター」といった職種などない時代。仕様書からマニュアル構成を考えられる人や、わかりやすい操作説明を書ける人は、募集したくてもいなかった。

このような状態から抜け出すため、メーカーが行ったこととは・・・マニュアル制作 今昔物語 後編へ。


ソーバルでは、長年、大手メーカーのマニュアル制作に携わり、あらゆるマニュアルの制作実績を積んでいます。 「新しいマニュアルを作りたい!」「既存のマニュアルをもっとわかりやすく改訂したい!」など、マニュアル制作に困ったときには、ぜひソーバルにご相談ください。